圧倒された
深く考えることが苦手な分野が多い気がする。
興味のあることだけを考えて、頭を使わないといけないことを後回しにする癖がある。
私よりも私の周りの方が、私をよく見ている。何が改善点なのか、明確に伝えてもらうという、生きてきて初めての経験をした。
その期待の重圧に、一瞬逃げたくなった。
だけど、ここまで周りが努力して知恵を絞って時間を使って伝えてくれたんだ。
もう、後戻り出来ないのを感じた。
いつもいつもいつも、
周りに助けられて生きている。
自分一人では何も出来ないと、本当に一人になってやっと気がついた。
今が最初で最後のチャンスだ。
全力を注ごう。
無駄な苦しみ?
何故こんなに苦しいのに、周りから理解されない?
それは、自分が見えていないから。
客観的に見えていないから?
自分のしていることを自分でも理解できずに、混乱した頭で考えて、もっと混乱している。
経験が解決してくれるのかどうかも、わからない。
経験が不足して自分が見えていないのか。
冷静に、客観的に考えてみよう。
本当はとてもシンプルなことしかしていないのだから。
遠くへ来て
遠くへ来るだけで、気分は変わるものだなぁ。
そして、いつも来てくれる人たちに会いに行くというのは、その人たちの日常を見るわけで。
自分の立場を忘れて羨ましくもなったり。
だけど、私には私の役割がある。
過去や、自分に足りないものばかり考えてしまいがちだけれど、大事なのはポジティブに考えること、そして冷静に客観的に自分のスキルを認識すること。
公私分かれているようで多分リンクしている。
どちらも迷路に迷い込んでいるかのようで、考えるのをやめたくなったり他人の意見にすがりたくなることが多いけれど、自分で考えて、考えて、答えを出して、行動して、間違えていると思ったら修正して。
生きているかぎり、自分で自分の枠を設定しないかぎり、無限に可能性はある、と本気で思う今日。
自立と依存を同時に感じる日々
友人と映画を観たあと、1人でフレンチビストロでディナーをした。
最近、1人飲みデビューしたのだが、今回は2回目。
そこで誰かに出会い、とりとめのない話で意気投合したりしないかなという気持ちを胸に。
が、現実はなかなかそううまくはいかなかった。
周りはカップルや友人同士。
スタッフの方々は、あまり客を見てない。
中でも私は、話しかけづらいオーラでも出してたのだろうか。少しの雑談にもならなかった。
そういえば日曜日の夜だな、と店を後にしてから思った。
客観的に見て、変わった服着た、自分をしっかり持っていそうな女が日曜夜に一見でやってきてスマホ片手にカウンターに座ってる。
声をかけやすいはずはない自覚はある。
だけど、1人が寂しくて、少しの期待をしてあの店の扉を開いてみたんだ。
「あの店は料理はおいしいけど、1人向きじゃないってことがわかって良かったよ。
これも勉強!!」
なんて親友に電話しながら帰って自分を納得させていた。
長年、パートナーに依存して生きてきた私が自分を心から幸せにするための日々はまだ始まったばかり。